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季節の行事

浅草ほおずき市の歴史や由来 観音様との関係や梅雨の時期にやる理由は?

浅草ほおずき市の由来や歴史について、意外なエピソードもお伝えします。

浅草寺のほおずき市は、私も行ったことがありますが、江戸情緒あふれるいい雰囲気でしたよ。

でもなぜ、梅雨も明けないこの時期なのか、観音様とほおずきには、どんな関係があるのでしょうか。

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浅草ほおずき市の由来や歴史 観音様との関係や時期の理由

浅草ほおずき市は、江戸時代から人気でした。

その理由は、ほおずき市の期間に訪れると、観音様のご利益が4万6千日(しまんろくせんにち)分受けられる(4万6千日参拝したと同じご利益)と言われています。

ではなぜ7月9日・10日かというと
室町時代から設けられた「功徳日(くどくび)」と言われる縁日が元になっています。

功徳日とは、
・その日にお参りすると、100日や1000日お参りしたと同じ功徳が授けられる、とされる日です。

功徳日は、今の浅草寺では毎月1度設けられていますが、ほおずき市の期間は段違いの功徳ですね。

4万6千日とは年数に直すと、約126年で人間の寿命を上回ります。
そのため、一生分の功徳が授かるとされたんですね。

これはすでに、1716年から1736年ごろから広まっていたことです。

ただ、なぜそこで4万6千という数字なのかは、浅草寺さんにもはっきりしたことはわからない、とのこと。

一説では一升(=一生に通じる)文の米粒の数が4万6千粒だから、となっているそうです。(公式HPより)

で、もともとは7月10日が縁日だったのですが、当日参拝者があまりにもい多いため、前日の9日も縁日として、今に至っているのです。(公式HPより)

なので本当の4万6千日功徳日は7月10日なのですね。

でも実際には「4万6千日」と書いた黄色の祈祷札は、2日間とも授けられます^^
あと、雷除札(かみなりよけ)もです。

雷除札とは、明治初年頃、赤トウモロコシの不作に困った信徒のお願いで始まった、雷除けのお守りです。

なぜ赤トウモロコシかというと、昔はほおずき市の時に、境内で売られていた時期があったのですね。

赤トウモロコシが売られるようになったのは、江戸時代の文化年間(1804殻1818頃)です。
その理由は、赤トウモロコシは落雷除けになるという民間信仰があったため。

で、その4万6千日功徳の縁日が、ホオズキと結びついた理由なんですが

ほおずき市の歴史や由来

ほおずき市は、もともとは愛宕神社から始まっています。

愛宕神社とは、東京都港区壱丁目にある神社です。
その愛宕神社の千日詣(ぜんにちもうで)で、薬草として知られるほおずきが売られるようになり、浅草寺でも売られるようになりました。

今ではホオズキ市は都内各地の寺社で開催されますが、浅草寺が一番有名になっていますね。

それがなぜ、7月のこの時期なのでしょうか?


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観音様との縁日はお寺によって違いますが、 浅草寺にとって一番縁が深い日だからです。(公式HPより)

ほおずき市と結びついた理由は、もともとは旧暦のお盆に近い日だからとされています。

旧暦では、お盆は7月13日から始まりです。
お盆で帰ってくるご先祖の霊魂を迎えるために、ナスやキュウリなどお供えしますよね。
ホオズキもその一つとして、お盆近くなるとスーパーやお花屋さんで売られます。

江戸時代は旧暦を使用していたため、お盆の時期は今の8月2日から31日にかけてでした。
(旧暦の日付が今の何日に当たるかは、その年によって違うため、このような表現になります)

8月のどの日にしても、ちょうど暑さも盛りのころですね。
そのため、落語「舟徳」では、そんな時期だからご利益がある、との言葉が出てきます。

今の暦では梅雨も明けきらない、お天気もはっきりしない時期ですが、そんな理由(というか、経緯)があるのです。

でも考えようによっては、今の温暖化が進んだ東京で、8月10日あたりに開催となったら・・・熱中症で倒れる人が沢山出て、かえって危険ですよね。

7月7日の七夕もそうですが、もしかしたら今の暦でやった方が、みんなにとって有難いかもしれません。

でも、観音様の縁日は、一般的には毎月18日なんです。
その理由についても、浅草寺にちなんだ興味深いエピソードがあるので、お伝えしておきますね。

浅草寺の歴史 観音様との関係は?

これは浅草寺の建立そのものに関わりがあるんです。

これは浅草寺でご本尊に祀られている観音像が、墨田川から引き揚げられた日が628年3月18日だったからとされています。

と言うか、その観音像は、もともと飯能市岩淵に祀られていたのですが、暴風雨で流失してしまったのです。
その観音像が、隅田川で両氏の網にかかって引き上げられ、祀って発展したのが浅草寺
、という訳です。

昭和9年には岩淵の岩井堂で流失した観音像と同じものであるとはっきり分かり、浅草観音の分身「聖観音像」が奉還されました。

それまでは岩井堂のある地域の関係者が、浅草寺に対して返還請求をしていたそうですよ。



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